【6/16】第16回OJAS映画上映作品「赤ちゃん教育」

みなさん!いよいよ梅雨に突入!
今月は月末最終土曜日ではなく月半ばの16日!
土曜の夜はオージャスで映画を楽しもう

今月は・・・

【赤ちゃん教育】

監督: ハワード・ホークス Howard Hawks
原作: ヘイガー・ワイルド Hagar Wilde
脚本: ダッドリー・ニコルズ Dudley Nichols とヘイガー・ワイルド
撮影: ラッセル・メティ Russell Metty
音楽: ロイ・ウェブ Roy Webb
(アメリカ、1938年、102分、白黒、RKO社)

スーザン・バンス: キャサリーン・ヘップバーン Katharine Hepburn
デイビッド・ハックスリー: ケイリー・グラント Cary Grant
アップルゲート少佐: チャーリー・ラグルズ Charlie Ruggles
スーザンの叔母エリザベス: メイ・ロブソン May Robson
庭師ゴガーティ: バリー・フィッツジェラルド Barry Fitzgerald
スローカム保安官: ウォルター・キャトレット Walter Catlett
精神科医フリッツ: フリッツ・フェルド Fritz Feld
デイビッドの婚約者: バージニア・ウォーカー Virginia Walker

6/16(土)開演19:00 入場無料!
(5分前にはご来場ください)

開場:ヨガオージャス武蔵小杉スタジオ

食べ物飲み物持込OK! 会員様以外もOK!
お友達やご家族もご一緒に楽しみましょう!!!

アメリカでヘプバーンと⾔えば、オードリーではなく圧倒的にキャサリン!という事実知ってますか?

本当は⽐べる対象じゃない⼆⼈ですが(年齢だって違いますし・・・)、しかし日本では圧倒的にオードリーしか知られてないが故に、このような問題が生まれるのかはさて置き、今回はケイト(キャサリンの愛称)の特集というよりスクリューボール・コメディというジャンルの代表的作品として、このご紹介したいと思います。

それは1934の『或る夜の出来事』(これとどちらにするか最後まで悩みに悩んだ)から始まったとされ、一言で言うと男と女のドタバタ・ラブストーリーです。

じゃあ何故この作品を選んだ?

と言うとそのドタバタ感が半端ないんです。クレイジー過ぎます!三幸喜さんが好きな人には是非このジャンルを観てもらいたい。

そして何より監督であるハワード・ホークスは、リベットやトリフォーをはじめとする後のヌーベルバーグの代表的な作家達が、カイエの批評家時代に熱烈に支持し、それに影響を受けた。同時代のアメリカンニューシネマの代表的映画作家のボクダノビッチにより本国アメリカでの再評価が高まる・・・

とこ部分だけで映画史の授業が1学期分持つほど!

僕も20年前にかの蓮實重彦大先生の7時間に及ぶ長時間の講義に参加したのを憶えてます(付き合せた彼女は終始寝てました(笑))

そんな難しい話はどうでもよくて、圧倒的スピード感で最後まで突き進んでいくこの作品は時代を越えて、観る者を圧倒すること間違いなし。

きっとみんな目を丸くしますよ。

これを観ずに死ねるか!

 

伝説的女優 キャサリン・ヘプバーン

彼女はハリウッド史上最も優れた女優であるとされる。その理由はアカデミー賞主演女優賞を4回も受賞をしているからです。この快挙は歴代最高であり現在もこの記録は破られておりません。ノミネート数も12回とオスカー史上第二位。ちなみに最多ノミネート第一位はメリル・ストリープ。

そんな大女優は、自立した女性の生き方をメディアを通して視聴者やファンに示した女性の一人でもあります。

ヘプバーンは1907年にコネチカット州で生まれ。父親は医者、母親は政治家で婦人参政権運動に従事、そんなインテリでモダンな両親のもとで、伸び伸びと育ちます。

舞台女優として早くから活動していて、大学卒業後にハリウッドのキャリアをスタートします。

最初はヒットに恵まれず「ボックス・オフィス・ポイズン(金にならないスター)」と揶揄されてましたが、1940年の映画「フィラデルフィア物語」のヒットを契機に、ヘプバーンは
輝かしい映画スターとしての地位を手にします。

俳優スペンサー・トレーシーとの長年の交際も、彼女の知名度アップを後押しすることになりました。

しかし、彼女は男性に依存するタイプの女性ではなく、その強い意思を表現するために、「女性はスカート」という時代に、私生活ではパンツスタイルを貫き通し、メンズのテーラードスーツを着たり、ジェンダーレス・アイコンとして、その強さと美しさを備えたスタイルは、女性の社会的地位向上に貢献し、正に現代アメリカ女性の先駆け的存在でありました。

2003年老衰により死去。

天才ハワードホークス

ハワード・ホークスはハリウッドが生んだ最も多才な映画監督であるとされ、傑作と呼ぶに相応しい作品が多数存在するにも関わらず、一度のオスカー受賞もなく徹底した職業監督としてそのキャリアを全うした。
そして一貫したスタイルやジャンルに囚われず、幅広い作品を残し、いわいるアート志向の実験作を作ることはなく、テーマは明確、ストーリーテリングも明晰でテンポも抜群に良く、編集も完璧なまでに澱みがない。それが故に監督の作家性というものが発見し辛く、評論家たちから正しい評価を与えられなかった。
ホークスの映画は、スタジオ・システムのもとに作られた商業映画そのものだったので、芸術を支持する知識人からは無視されてしまったのである。

しかし、そんな彼を神と崇め『ホークス主義』を掲げ、発見したのはフランスのトリュフォー、ゴダール、ロメール、リベット、シャブロルといったカイエ・デュ・シネマの若い批評家時代の後のヌーベルバーグを代表する若者達である。

彼らは英語が得意でなかったので、独自の映画スタイル評価法を開発しました。当時フランスで鑑賞することが出来たアメリカ映画には字幕がついていない場合が多かったので、構図・カメラの動き・編集を通じて、視覚的な表現法を細かく見ました。それは外国人であるが故に真に映画的文法で、同じアメリカ人では気づけなかったホークスの作家性を発掘できたのではないでしょうか。

そしてパリに留学中のアメリカ人批評家が当時の状況にショックを受けたことをアメリカの映画狂アンドリュー・サリスに手紙でこう伝えるのです。
「1957年のパリで、アーチャーは、カイエ派が、フォード、ヒューストン、カザン、ジョージ・スティーブンズ、ワイラー、ジンネマンに興味がないのを知ってショックを受けた。彼らにとって絶対的な存在はホークスとヒッチコックだった。アーチャーと私はヒッチコックのことなら何でも知っていると思っていた。ヒッチコックは面白いと思われていたが、必ずしも重要とは思われていなかった。だが、ホークスって誰だ?なぜフランス人は彼のことを真剣に考えているのか?」

そしてこれまた後のアメリカン・ニューシネマを牽引する重要な監督であるピーター・ボクダノビッチを中心にアーチャーとサリスの三人は自分たちが特に見たいホークス映画のリストを作り、それをニューヨーカー劇場の支配人に手渡し、「忘れられた映画」特集を組むよう説得しました。

そして28本が上映され、そのうちの11本がホークス作品でした。

ボクダノビッチは次のように回想しています。

「私は、そこで上映されたホークス作品を全部見て、ぶっ飛んだ。ある土曜日、「三つ数えろ」と「脱出」を上映したが、長蛇の列だった。」 ついにアメリカでもホークス主義が始まった!

そしてホークスの神聖化の最終段階は、新しい映画作家たちによるオマージュとして完成していきます。

ゴダールは「勝手にしやがれ」を「暗黒街の顔役」のリメークだと述べているし、「軽蔑」(1963) には「ハタリ」のポスターが出てきます。

ボクダノビッチは「赤ちゃん教育」をリメークして「おかしなおかしな大追跡 What’s Up Doc?」を作り、ジョン・カーペンターは「リオ・ブラボー」をリメークして「要塞警察Assault on Precinct 13」を発表。マーティン・スコセッシの「ドアをノックするのは誰? Who’s That Knocking on My Door?」 では、主人公の二人が「リオ・ブラボー」のリバイバル上映から出てきて、アンジー・ディッキンソンが演じたフェザーズについて議論するのです。

撮影秘話

「赤ちゃん教育」の豹の演技に驚いたのは僕だけじゃないと思います。

調べたところによると撮影の初めのほうでは、豹も俳優と一緒にセットの中にいたそうですが、いくら訓練されているとはいえ、そこは獰猛な豹(豹変って言葉もありますからね・・・失礼しました(笑))もちろん危険なことに変わりはなく、ヒラヒラした衣装のヘプバーンに飛びかかりそうになったこともあったりとか。

そこで、俳優と豹を離すために、当時の特撮技術が駆使されましたそうです。

ガラス越し (glass partition)に撮影したり、足だけ吹き替え (stand in)を使ったり、豹の人形ぬいぐるみ? (puppet)を使ったり、豹と人間を別々に撮影して繋ぐ撮影手法では、木の茂みが微妙に動いたり、俳優の体の一部が消えていたり、、、

しかし、どれも言われてもじっくり見ないと気づかない。今ならCGでいとも簡単に再現できるシーンですが、1938年当時の特撮は精度を求められる大変な作業だったことと思われます。正に職人と呼べる技術!そんな達人の見事な映画的手仕事もお楽しみに。

スクリューボールコメディとは?

スクリューボール・コメディ(Screwball comedy)は1930年代から1940年代にかけてアメリカで流行した映画のジャンルのひとつで、その内容はロマンティックなコメディをベースにしながらも、特徴として常識外れで風変わりな男女が喧嘩をしながら恋に落ちるというストーリーにある(スクリューボールとは野球における変化球の一種のひねり球で、転じて奇人・変人の意味を持つ)。※喧嘩をしながら恋に落ちるってのは80年代の日本のトレンディードラマみたいですね。

スクリューボールコメディーを撮った代表的な監督はエルンスト・ルビッチや、フランク・キャプラ、プレストン・スタージェス、そして今回紹介するハワード・ホークスらが作品を残している。

一般的にそれは『或(あ)る夜の出来事』によって始まったとされます。

この時期にはプロダクション・コード(いわいるヘイズ・コード)と呼ばれる映画製作倫理規定によって性的描写が厳しく禁止された時代。男女の肉体的な愛は一切描かれなかった。だからこそ当時の製作者たちは、その逆行をバネに、そこに行き着くまでの長い道のりをいかに面白おかしく描くことに挑戦し、見事にその戦いに打ち勝ち沢山の良質な作品が作られた。

いつの時代も創作する者達にとって制約は創造の糧に変わるし、そこを乗り越えられなければ真の芸術は生まれない。

性的描写の規制が緩やかになった1950年代頃から、それと比例するようにこのジャンルは、段々と廃れていったが、現在でも、スクリューボール・コメディ的要素を持った作品は多く、特に性的描写への規制が厳しいテレビドラマなどにその特徴を持つ作品が多い。

   
このクドイ顔は悪夢として現れるでしょう スクリューボール・コメディの神様 エルンスト・ルビッチ監督


スクリューボール・コメディの第1号の作品「或る夜の出来事」