【2018/12月号】 平成が終わるのって今年一杯じゃなかったんだ・・・



若者に対しケタ違いの影響力を持つテイラー・スウィフト。
彼女の真意は誰もわからないが、民主党躍進に一役かった。

11月6日アメリカ中間選挙が行われた。結果は下院の過半数を民主党が抑える事となった。その要因として#MeToo運動を背景に、勢いを増した女性候補者。しかもLGBTやイスラムやネイティブアメリカン等のマイノリティの候補者による議席数の増加、そしてテイラーの発言による影響も手伝ってか若者の投票率が大幅に上昇したことなどが挙げられる。アメリカで生活したこともない僕が、なるべく様々な立場のメディアからの情報を租借した結果、隠れトランプ指示と言われる人達が感情的にそうなる気持ちも理解できる。ツイッターで無茶苦茶な言葉を発し、その一貫性が論理的に破綻していようと大衆の感情を掴む能力は天才的だと認めざる終えない。しかしその2年間に対する国民の答えが、今回のねじれ状態を産み出した。第2次南北戦争の可能性も示唆される中、アメリカの分断があと2年で収束されることを願いたい。

 

僕の卒業文集の後ろにもこの写真あったね

さて、そろそろ平成が終わるな~とか思って身構えて居たら、来年の5月1日から新年号になると聞いて。「今年一杯じゃないんだ!」って驚きました。確かによく考えれば、元号ってのは、天皇が崩御し今上天皇が即位するタイミングで付けられる。一世一元の形を取ってるから、何も12月一杯で変わるとは限らないんだけども、今回色々議論になった。天皇の生前退位と言うことで前々から、終わることを想定していたので、このような感覚に陥った方も多いのではなかろうかと考えます。

そもそも、このタイトルである『今年』ってのもどっちの今年?って話ですが、元号の変わる年でもない限り、そんな事を意識することもありません。そして普段は伝統や文化を重んじるような事を声高に話したりする僕ですが、例えば皆に記入してもらう書類とかをめくっていて、18・18・18・30?っていきなり平成何年ってのが現れると、錆び付きはじめた僕の頭が、一瞬固まってしまい、管理する側の気持ちから「西暦で書いてくれ!」と、いとも簡単に日本の伝統廃止論者に変身したりもします。

ここで「そもそも元号っている?西暦だけでよくない?」という意見もあろうかと思いますし、そんな疑問をネット検索(なんと便利な時代)してみると、そんな議論がそこかしこで繰り広げられてます。

確かに道具として西暦は明らかに便利でしょう。しかし天皇があのように存在し、日本と言うものが平和的にまとまる要因を担っているのであれば、やはり元号があった方がいいんじゃないかと思うのです。それにある時代の空気を醸し出し、その世代の共通の認識を与えてくれます。それは言わずもがな僕らの世代にとって、その人の行動や言動を「昭和だね~」とか言うみたいに。時代を表す言葉が数字だけだったら文章が味気ないものになってしまいます。

それに既に日本は着物から洋服に変わっています。ベトナムでもいよいよ若い人はアオザイを着ないそうで、洋服は毎日の暮らしに直結してますから、確かに便利さには抗えないかもしれません。これは別に西洋のものがいけないと言ってるのではなく。世界が単一化されていくことに対して警鐘を鳴らしているのです。

それにちょっと違うかもしれませんが西洋だって『ビクトリア朝時代』とか言いますしね。兎に角年齢を重ねていくと、無駄なことはしたくない!と言う方も居ますけど、僕の場合はどちらかと言うと無駄な事の中に人生の真実が隠されているようで。それを楽しんでる感じなんですが・・・

まあ皆さん新しい元号を楽しみに暫く過ごしましょう!



僕の免許証の期限は、存在しない平成32年!うっかり忘れた時、
平成って書いてあるから気付けなかったという言い訳は効くかな?