【2017/10月号】新(アラタ)と一緒に新しい自分を発見中

「一つの国家が一つの国民で構成される」という近代西欧の観念により、少数民族は常に迫害の対象になってしまう。ロヒンギャ問題でアウンサンスーチーが批判される事が度々見受けられるが、僕が中学の頃、軍による自宅軟禁その美しき女性を追ったドキュメンタリーを始めて観て以来。永遠とも言える長いその断続的な軟禁が解ける日をいつぞやと待ちわびながら、20年以上の時を経てそれが解かれた日の喜びと期待感で熱くなったのを憶えている。その過剰な期待と愛情が、今なお四面楚歌の中にいる彼女への批判へと繋がっていると思っている。だから僕は、国際社会の声が今以上に高まることにより、一日も早くロヒンギャの住民が安心して生活できるようになることを願ってます。

さて僕の家の1階は車やらバイクやら洋服やら本やらレコードやら機材やらスタジオの備品やらが納められた倉庫で、そしてオージャス通信等を夜中に書いたり出来る少しの事務スペースがあるんですが、つい先日夜中に先月号の続きのblogを書いていたら目の前に、突然全長2cm程のヤモリが現れました。「あー!!!」と40過ぎのオッサンは2cmの可愛らしいヤモリに悲鳴を上げる訳ですが。マイクタイソンだって赤ん坊の頃は可愛かった様に、どんなに凶暴な動物だって大概の生き物の赤ちゃんは可愛いものです。と冷静にそんなことを考えたら、さっき悲鳴を上げましたが、やっぱり可愛く思え、「アラタが見たら喜ぶぞ!」と思い捕まえることにしました。逃げ回り大変でしたが何とか捕 まえることに成功し、2匹の蝉の屍骸が夏の名残を感じさせる虫かごに入れます。翌朝はアラタと会えず、早くしらせたくて、妻に頼もうと思いましたが、気持ち悪がられると思い夕方の保育園が終わるまでお預けとなりました。

とかげの子供

僕は触れませんよ。
可愛いとは思っても鳥肌立っちゃいます。
ヤモリ?イモリ?どっち?って毎回調べては忘れてましたが、今回やっと憶えれそうです。

アウンサン・スーチーの若い頃

若かりし頃のスーチーと夫
しかし死を迎える最後の時まで再会を許されることはなかった。

夕方になり保育園に迎えに行きます。そしてご対面、期待通りの息子の反応に胸を撫で下ろす僕。そして言います「もしヤモリを飼うなら餌をお前が親代わりになって毎日虫を捕まえてこないと駄目だ。それが出来なければ逃がそう。どうする?」と聞くと、やると言うので、早速二人で虫を探しに行きます。

しかし、これがいかに大変なことかを、この時点では知る由もありませんでした…皆さんはご存知かも知れませんが、僕は知りませんでしたね、こう言う生き物は生きた虫しか食べないんです。最初は余った野菜とか入れとけばいいんでしょ?と思ったんですよ。そんな甘い考えは、調べて直ぐに間違いだとわかりました。勿論ペットショップには餌となる虫が売られてるみたいですが、これは僕の教育の一環です。そんな何でも買えばいい。みたいな楽チンな方法は絶対に許されません!挫折も含めて色んな感情をヤモリの飼育を通じて知って欲しいのです。

しかし更に厄介な事に、こいつはまだ赤ちゃんです。かなり小さい虫しか食べれません。だから普通の虫取り網じゃ無理だという結果に至りますが、そんな網は存在しません。何か代替品は?と考え、風呂のゴミを掬う網が思い浮かびました。しかしこれがなかなか売ってなくて、5軒目にしてやっと見つけることが出来ました。その帰り道、早速蜘蛛を捕まえて喜ぶ父と息子ですが、ヤモリを育てる為に蜘蛛の命を犠牲にする正当性とは?それはナチスの優生思想とも繋がるのではないか?という疑問が頭を掠めます…

しかし!自然と言うものは、沢山の犠牲の上に成り立ち、残酷さは人間社会の比ではありませんが、動物は余計な分まで取ることはありません。潔ぎよいその時その時の真剣勝負の繰り返しです。とか言うと、『俺達のことが解る訳ないのに、勝手な想像で物を言うな!』と動物に叱られそうですが、人間の感情や倫理の側面で考えれば、誰かの為に誰かの命を犠牲にする正当性は見つからないでしょう。でもそんな問題は本人が色んな知識を身につけ、歴史を学び自分の人生に向き合う頃でいいかな?と、判断し、その人間中心的な傲慢さや独善性に葛藤しながら、僕は息子を連れて今日から虫を捕まえることを決心したのです!(笑い)

新の決心!

川崎の文化遺産『円筒分水』にて獲物を待ち構える息子

翌朝、もはや情熱の冷めかけた息子を奮い立たせます。
僕『さあ、虫を捕まえに行くぞ!』
息子『テレビ観たい!』
僕『じゃあ、もうヤモリは逃がす』
息子『嫌だ!』
僕『ヤモリのお父さんはお前なんだ。お父さんがテレビ観たいから仕事しない!って言ったらどうすんだ?お前ご飯だべれないし、おもちゃだって買えないぞ。でもやりたくないなら逃がせばいいんじゃん。そしたら多分自分で餌も探せるしさ。どうすんの?』
息子『行く』

こんなやり取りがその後も繰り返されます。

しかし肝心の虫さんですが、手頃なサイズのがなかなか見つかりません。ハエや蚊は食べるそうですが、蚊を生きたまま捕獲して籠に入れるのはかなり厳しいですし、意外とハエは居ません。小さい蝶とかは羽が大きい分どうも恐がるみたいで食べません。団子虫とか蟻を食べてくれるなら楽なんですが、硬い物も駄目とのことです。で、やっぱり小さい蜘蛛ってことになるんですが、蜘蛛の巣をで鎮座している蜘蛛たちを見つけることは容易ですが、大きい奴らばっかりです。小さい蜘蛛は家の中でも見るときは見ますが、どこに行けば会えるやら検討が付きません。
『何日食べなくても平気なんだろうか?果たして今日はみつけられるだろうか?』不安が過ぎります。

それでも、何もわからないなりに、草むらをじっと見つめていると、なんとか1匹捕まえられたりします。近所の色んな場所を二人で探し回りました。

そしてついに、完璧なポイントを見つけたのです!

同じ公園の敷地内の、同じような芝生の上なんですが、何故かその一角にだけ沢山いるのです。少し日陰で設置された機械の下に隠れる場所があるからかもしれません。兎に角確実に居るのです。その頃になると僕も目が慣れて来て、微妙な草の動きとかを捉える力が付いて来ました。これはコツと言うよりも、じっと辛抱強く集中してその場所を見続けるだけです。
朝の公園で叫びます。
『しっかり集中して見つけろ!蜘蛛の動きの先を読むんだ!諦めるな!』

近所の人は変な親子が毎日何かやってるぞ。と思ってることでしょう。

僕は、はっきり言って子供の頃からカブトムシさえも触るのが嫌な位に虫全般嫌いです。しかし小さいヤモリを殺してはならない!との責任感だけが僕を突き動かし、徐々に虫にも慣れて来て、今では愛着さえも持ち始めたことに驚きです。むしろ虫への視点が180度変わった感じです。嫌な感情だけだったのが、「宝物を見つけた!」みたいな喜びの感情みたいな・・・
さあ、蜘蛛に最も怖れられた親子として、彼らの歴史にその名を刻まれるほどに、最強蜘蛛ハンター親子の戦いは暫く続きます。

※後日談・・・その後調べたら、どうも蜘蛛ばっかり食べてたら栄養が偏るらしく。でもどの虫がどんな栄養価をもってるのかなんてもはっきり書いてあるものもなく。とにかく色んな虫を探すしかないんだと、、、生き物を育てるって本当に大変です(涙)