【2017/11月号】遠く彼方に想いを馳せながら 終わり無き日常を生きる

今日の政治状況を見て、一体自分が何に対して絶望してるのか?それさえも判らなくなり辟易としつつ開票の日を迎え、蓋を開けてみれば自民党の圧勝と言う結果を目の当たりにし、有権者は賢明な判断をくださしたのだと思う大人な考えも抱きつつも、停滞に対する恐怖心が強い僕は、茹で蛙の様に沸騰点に気付かずに、もはやその時期も過ぎているようにも感じ、反逆の血液は年齢と言う傷口からゆっくりと零れ落ちている。



歴史上、マッドサイエンティストは存在するが、何が社会の幸福に繋がるのかを同時代に生きる者が果たして判断できるのか?

ちょうど去年の今頃、AIについて書いたのですが、最近の気になった記事で、今時女子のホームパーティーの様子が書かれていました。

それには美味しい料理を食べてながらの楽しい会話が弾むという旧時代的な喜びは置き去りに、もはや聞き飽きた言葉でもある、いわゆるインスタ栄えする写真の為の苦労が書かれていた。一時間以上掛けてテーブルセッティングし、更に素敵な1枚の為に何度も撮りなおす。もはやその場に本来の会話は存在せず。もはや料理は完全な演出の為の小道具と成り下がり、残り物でもかき込むように済ませるという。(もしくは廃棄)これを読んで、それが良いとか悪いとかではなく、完全にリアルとバーチャルの比重が逆転しているのだと確信した。

生身の記憶よりもサーバー上に残る記録の方が重要で、それを重要なものにしているのは、SNS等のスマホを通じて提供される環境にある。そして知り合い程度の友人からの羨望のコメントを眺める。これぞ彼女達のリアルなのだ!

それを全然否定しないし、価値観は目まぐるしく変化する環境によって変わるものだから、、、けれどその価値観を理解できない僕は、彼女達と違う環境を生きているんだと思うのです。

写真集の写真は素敵なその絵に魅了され憧れをや発見を生み、自分達のそれは楽しい記憶を喚起する為の単なるツールに過ぎなかった。だから彼女達がその写真を将来眺めることは、物量からも不可能に思えるし、ましてや撮影の苦労話以外語ることがあるだろうか?(でもその時間をキャッキャ楽しく過ごしてるのかもね)
兎に角!スマホの使用時間が生活の多くを占めていけば、もはやツールとしての位置付けではなくなり、画面の中の出来事こそがリアルとなるのだ。そしてやっとAIの話に戻りますが、、、

この続きは近日公開



宇宙は次なるフロンティアとなるのか?
僕らが生きてる間にそれは実現できるのか?