【2019/2月号】 チャンスはまだまだ眠ってる? そして時代の変化を感じて思うこと

 
これはもう、間違いなくセクハラです#MeToo(笑)

「照明が暗いと字が見えないな~これが老眼ってやつか・・・」

なんて、感じることが多くなった今日この頃ですが、、、そんな僕が妙に気になる、あのCM。そう渡辺謙が

「世の中の文字は小さすぎて、読めないっ!」

と叫ぶ、馬鹿馬鹿しくて、大袈裟で、嘘くさくて、それでもって、そんな受け手の感情を逆手に取った結果、その狙いが見事に成功したハズキルーペ。テレビCMが公開する前から店頭でのポスターとかで見かけて

「何だこれ!?」

とスルーすることが出来ない、確信犯的な悪趣味さで、あれよあれよと言う間に広告費に一体どんくらいつぎ込んでんだ?なんて疑問も吹っ飛ばして、話題沸騰の商品?
だって、何一つ珍しくもなくて、そんでもって画期的なアイデアによって生まれた商品とか言う訳でもないのに、その価格設定と、正にあのCM戦略で、こんなに大ヒット商品になるなんて誰が想像しました?
勿論あのヘンテコなCMばかりに意識がいってますが、おそらく無駄のない商品コンセプトと、それらをどういう表現を持って良さを伝えて行くのかという広告戦略。これらが見事に調和した結果だとは思うのですが、、、
もう一回言います。特に珍しくも画期的な商品でもないんです。この商品が生まれた時に多くの社員は「この商品は必ずヒットするぞ!」とか思わなかったと思うし、誰もが今更こんなもんが売れるわけないじゃん。って諦めモードだったと思うんです。でもこの現象を通じて学べるのは、既に浸透し当たり前に使ってるものでも、まだまだ改善の余地だったり、どこにどんな形でチャンスが眠ってるかわからない。って事だと思うんですよね。

眼鏡のCMを通じて視界が明るくなった気分です(笑)。

しかしあのCMでの前時代的な男女の描かれ方は、現代に於いては炎上ギリギリ。いや確実炎上でしょう。と思えるんですが、見事なパロディー感が、良識ある方々の真剣に怒りたい感情を思い留まらせてるのでしょうね。

あっぱれ!

う~ん。高校生の僕は間違いなく通報されてます

さて話は変わって、最近僕に取って衝撃的なニュースを目にしました。

『女子大生「デートDVした」6割、男子より多く』

女の子が男の子にデートDV???

この記事をよく読んでみますと、DVって言っても、男性が行うそれは直接的な暴力を意味しますが、この場合は直接的な暴力は何割かで、デートDVという物(僕がこの言葉の正しい解釈に自信がありませんのでという物と表現させて頂きます)には、

『交際相手からの暴力や暴言だけでなく、電話やメールの履歴を無断で見ることや、相手の行動を束縛すること、デート費用を全く払わないことなども該当する。』

との事であります。しかし女性が暴力を振るうという選択肢を持ってることが、やはり僕にとっては、世代的なものもあるでしょうが、驚きだということと、逆に男性がそのくらい上品になったんじゃないか?って印象がありますね。
もちろん時代背景や生活環境次第では、女性の暴力的なシーンが映画や小説などでも描かれることがありますし、『実録戦後女性犯罪史』などを読みますと身の毛もよだつ女性たちが存在しますが、しかし一般生活の中ではなかなかお目にかかる機会はありませんでした。
※余談ではありますが、僕が中学1年生の時に付き合ってた彼女。と言っても2,3回みんなで出掛けたりした程度ですが、身長が僕より10センチ高くて目立つ子だったんですが、可愛くて生意気に映ったんでしょうが、3年生の不良の女の先輩10人から殴られ煙草を顔に煙草を押し付けられましたが、涙ひとつこぼさなかったですね。それがごく少ない女性たちの暴力を目の当たりにした瞬間でした。その時はもう付き合っていませんでしたが、守ってやれなかった自分が情けなくて、彼女はケロッとしてましたが、その頃から背が高くて気が強い女性から逃れられない運命だったのでしょう(笑)


このCM。なんだか子供心に憧れたんだよね~

僕の思い出話で時間を奪ってしまい申し訳ありませんでしたが、何となく今の若い男の子を見てても凄くおりこうさんな印象を受けます。やっぱり時代の流れでしょう。

「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」

って丸大ハムのCMもやってないですし、例えば小さい頃、喧嘩して泣いて帰ってきたら

「勝つまで帰ってくるな!」

など言われて来ましたからね。

もちろん男だろうと女だろうと暴力を振るうのは駄目!というのは大前提であることは理解していても、やっぱろ暴力ってのは男性側のイメージですからね。小・中・高を通じて学校で殴り合いの喧嘩をするのはやっぱり男だけでしたし。(先ほどの例外を除いては(笑)僕らの世代の男にとっては、暴力ってもんはある程度、日常的に存在してたことは事実です。(でも小学校くらいまでは男の子に突っかかってくる女の子もいたかもな・・・そんな子も中学とかになればすっかり女の子らしくなってましたが)

兎に角これは良いか悪いかは置いといて、正しい男女同権が進んでいった結果であると思います。そしてこの状態は最終地点ではなく、まだまだその過程なんだと思います。この話は男女関係の問題と、暴力について2つの観点から分けて話す必要があると思いますが。

僕が言いたいのは、女を殴るような男は最低です。男として一番格好悪い事です。

そして男同士の社会に関しては暴力を無きものとして扱い、一切を排除するような社会の傾向は危険なことです。人間が存在する以上、暴力は無くなることはありません。幼い頃ある程度の範囲で経験させることにより、それの度合いや痛み、そして堪える精神を生活の中で正しく学んでいく必要があると思います。

例えば、仲の良い友達と殴り合いの喧嘩して、お互いバツが悪くなって、何日か話さなかったりして、淋しくなって本当は直ぐにでも仲直りしたいんだけど、タイミングが掴めなくて、それがちょっとしたタイミングで元に戻ったりとか、、、

それらを経験するから人間的に成長する事ができます。そしてここで言う暴力というものは、ある程度同じ力の者同士が殴り合ったりする喧嘩のことです。一方的に無抵抗な相手や、明らかに弱い立場や、自分より年下の体の小さい者とかに対する暴力は絶対に許されません。それは喧嘩のルールとして教えられたものです。

やはり女性差別的な印象を持たれてしまう内容かもしれませんが、男女の権利は平等であるべですが、結果は同じになることはないと考えているだけですが、その考えを多くの人に理解してもらうように伝えることは難しいことだと思います。


サガンは、愛は束縛と言ってますが、デートDVのポスターには、
『束縛は愛ではありません!』と明言してあります。

さて話をDVに戻して、このニュースを読んだ後、区役所でデートDVに関する啓蒙ポスターを偶然見かけて、そこに書かれてるDVと定義された内容に更に驚かされました。そのポスターのタイトルは

『それってデートDVじゃない!?』

そしてその周りに男女のイラストと伴にこんな吹き出しが続いてます。

1.友達と電話で話したり会おうとすると不機嫌になる

2.服装について細かくチェックする

3.会えないと何度も電話やメールをする

4.帰宅が遅くなると怒る

心の中で叫びました。「高校生の僕がデートDVせずに女の子と付き合うなんて無理!」

これは先ほどの暴力に対しての話と重なりますが、喧嘩する自由も与えられてないようなもんですね。

子育ても同じですが、人間の社会は過去の教訓から、より良い社会を実現する為に環境が整備されます。もちろん異性に対して上の行為は良くない行為です。だから間違いを犯さない為に先回りして禁止するという行為は、あたかも自然な流れに感じますが、子育てでそんなことをしたら子供は育ちません。

思春期の若者だってそうです。そんな自然に溢れるまだ未完成な愛情の表現を間違った形で表現し、相手を傷つけそしてその相手が自分の元から消え去っていき、今度は自分が傷ついて、少しづつ少しづつ恋と愛は違うだとか、自分の感情を少し抑えて相手を思いやることで、得られる信頼など、沢山の間違いを経験して皆が自分なりに学んで行くものだと思います。

音楽の世界にコンピュータが深く入って来て、少しのリズムの乱れも許されなくなり、レコーディング機材の性能が向上したことで1のものを10にする事が可能になって、正しくて一番近道で技術が習得できる演奏方法をいつでも学べる環境から、技術的に進歩してるんだけど殆ど同じ音になってしまってるように。

コンピュータの進化は、人間の多様なあり方を殺してしまうかもしれません。

ギリシャの時代から人の悩みは殆ど変わってません。本当はこれが正しいって答えはみんなわかってます。しかし愚かで間違いを犯してしまうから、人は生きていけます。だから間違いが一切起こらないような高度に監視された社会へと進んでいかないよう僕は祈りたいと思います。

 
なんでのある程度は必要なもんです。やっぱ本能的にやってますから子供たちは