【2016/7月号】夏の風景 故郷の思い出の味

結婚してから、毎年地元の夏祭りの時期に帰省することが恒例となりました。

そんな現在とは違い、20代の僕は、祖父の葬式と弟の結婚式以外10年間帰省することはありませんでした。それは19歳の時に、まるで映画や小説の世界そのままに、わかりやすい夢を持って福岡の田舎から上京し『男が一度決心して故郷を出たのならば成功するまでは帰ってはいけない』とニューシネマパラダイスばりの時代遅れな誓いを頑なに守っていた為です。そして現在、毎年帰省してるのは、別に成功した訳ではなく、単に10代の夢を諦めたからですが、、、

兎に角そんな僕が上京として20年経過し、いまだにこっちでも日常的に福岡弁を話し、常に故郷の風景と人を愛し、帰省中は、もはや客足も疎らで、その大将が引退したら即廃業になってしまうようなお店で高校時代と同じものを食べます。

その中のひとつに『金時屋』という和菓子屋さんがあって、そこでは夏になると『カキ氷』が食べられます。悪ガキだった中学生の僕らは、墓地で意味もなくたむろしては煙草を吸い、それからその店でカキ氷を食べるのが夏の定番コースでした。

何故だか僕は一度もカキ氷のお金を払った事がなく、仲間の中で誰よりも早くカキ氷を食べれるという、何の自慢にもならない特技を持ってました。それは長崎県の名物ミルクセーキというカキ氷で、僕の故郷大牟田でも定番メニューとして存在します。
関東の方にとって『ミルクセーキ』はジュースの形をした飲み物としてイメージされてるでしょうが、九州では違います。簡単に説明すると、その味のフローズンドリンクで、牛乳と卵黄と砂糖で作ります。勿論この歳になってもその店では当時と同じものを食べますが、これが所変わってこっちだったら、何故か宇治金時とかをまるで立派な大人にでもなったかの様な顔をして食べてます。



この店完全に時間が止まってます!でもサイコーなんです。
いつまでも営業頑張ってくれることを祈って。

それと勝手に僕だけが思ってるこの店のもう1つの名物は、店主であるお爺さんです。既に当時から仙人にしかみえない風貌で、中学生の僕らの間で「100歳こえとうげなばい(100歳越えてるってよ。という大牟田弁)」という噂がたつ程の見事な仙人顔のお爺さんでした。そして25年たった今も、本当は剥製じゃないかと疑うくらいに微動だもせずにテレビの前で座っています。これが中学生だったら煙草の火でも近づけかねません(笑)

そんなこの店には帰省中最低でも2回は行きます。家族は1回しか付き合ってくれませんが、、、因みにずっと地元に住んでる弟は何年も行ってなく、「兄ちゃん以外、言ってるやつ知らんばい」と言われましたが、去年初めて他のお客さんと遭遇することができました。

僕の町は今で言うB級グルメの宝庫で、小学生の頃からそんな町の小さい食べ物屋さんを1人で食べ歩く変な子供でした。今でも残ってるこういった店の1つ1つは本当に大切な宝物であり、全てがオリジナルで、その味も雰囲気も再現不可能なオンリーワンな店ばかり!その内の2軒はちゃんと跡取りの方も頑張っていて、ホッと胸を撫で下ろす次第です。

日本一の炭鉱町として栄華を誇った大牟田市は、その名残故か今も独自の雰囲気を持ち続けています。故郷とは、今暮らす場所から離れれば離れるほど、その距離に比例して思いも強くなるように感じます。

子供の頃から他人から見たら何て事の無い日常の風景に特別な何かを見出し、想像して楽しむのが得意でした。

夕暮れの太陽の光が宝石の様にキラキラと映し出される有明海の干潟

丘の上から眺める工場の灯り

当時の労働者の声が今にも聞こえてきそうな炭鉱跡

違う世界への繋がるいつもと違う帰り道・・・

僕は今を幸せに生きていますから、自分自身が生きた時代を信じていますし、その価値観を大切に繋いで行きたいと思ってます。勿論沢山の誤りはあるにせよ、その全てを愛しているのです。

さあ今度帰ったら、その大切な跡取りの方に一日でも長く営業をしてもらえるように健康増進の為にYOGAを勧めなくちゃ(笑)

~会員の皆様。今年もサイコーの夏の思い出を沢山作って、怪我などなさらぬよう目一杯楽しんで来てください!~



夕暮れに染まる有明海。凪の海は爆発しそうな思春期の僕らを優しく包んでくれた