【2016/10月号】アーユルヴェーダとは即ち地産地消?

僕は考える。最新技術でイノベーションを夢見る開拓者に対し、現代に於いて伝統に挑む頑固者は、前者に負けない程にアバンギャルドな存在ではないかと。そしてその両者の知恵がお互いを刺激し支えあってこそ素晴らしい未来が生まれると・・・

89年に20世紀初頭の芸術運動にである『未来派宣言』に倣って、イタリアの『スローフード宣言』がフィガロ誌に発表され、その後世界へと広がって行った。二十歳の頃にその特集を読んでから、僕はずっとその理想が息づく風景に憧憬にも似た思いを抱き続けて来た。

そして先日『アーユルヴェーダ』とはどんなものか知りたいと、ずっと気になりながらも、日本では何となくその言葉だけが独り歩きし、更にネット上では有象無象の自称研究家が跋扈している現状に辟易しながら、参加したいようなのが見つからず、探しあぐねていた頃、漸くそんな捻くれた僕に最適ではないか!と言えるセミナーを偶然知って参加する事になった。

そのセミナーは『日本アーユルヴェーダ学会』主催で、3名の講師の方が登壇された。
一人目は祐天寺にあるアーユルヴェーダ治療院のハタイクリニックの医師による、当院での医療現場の報告だった。

続く第二部は、西洋医学の医師でありながら、アーユルヴェーダ関連の書籍を多数出版されている日本アーユルヴェーダ協会理事長の『上馬場和夫』先生。

そして最後が、この日一番楽しみにしていた薬学博士であり、東京農業大学教授の『御影雅幸』先生による『アーユルヴェーダ文化圏訪問記』だった。僕は先ず、その成立過程と比較文化論的観点から、それがどのような物であるかを広い視点で知りたかった。先生の話で印象的だったのは「アーユルヴェーダが一番大切にしているのは、生活している場所の近くで取れたものを使う事であって、日本に縁も所縁もないインドから取り寄せた物を有難がるのは、最もその精神に反する」という言葉だった。

 

これは僕が出会った一部のヨガ関係者の、どうしても受け入れ難い考え方である『インド原理主義』とも呼べる思考停止の稚拙な暗記的学習の果てに至る惨状・・・そのことが社会との断絶を起こしかねないと危惧する。そんな僕の不安と共鳴した。

今回の話を通し改めて食の大切さを感じ、人間集団の最小単位である過程の中心を担う母親の存在が、もっと敬意を持って正当に評価される事を切望し、威厳ある台所の復権こそ、この素晴らしき精神を、それぞれの国に合った形で根付かせる原動力だと確信した。

午後の時間をたっぷり使って家族の健康を願い美味しい夕食を作る理想的なイタリアのマンマが居る風景。そんな社会であって欲しい。
家族の命の根幹を担う。これほど立派な仕事は他にはないのだから。



家族の健康と幸福を支えるイタリアのマンマ達。彼女たちは今日も台所に立ち続ける